全羅北道指定文化財資料
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帰来亭 (文化財資料 67号)
朝鮮初期、申叔舟の弟である申末舟が建てた東屋です。世祖が端宗を廃位させて王位につくと、申末舟は官位を捨てて淳昌に下り、帰来亭を建ててソンビ(*儒学者)と十老契を結び詩と酒に明け暮らしたといわれます。
淳昌郷校の大成殿 (文化財資料 68号)
明宗15年(1560年)に修造し、孔子を中心に中国の四聖と宋代の四賢、そして韓国の東国18賢を合祀しており、明倫堂は淳昌を含む7つの村の初試(科挙の最初の試験)が行われる場所でした。
ホロミ山城 (文化財資料 70号)
白山里に位置する山城です。百済時代に築城された700余メートルのホロミ山城が梨状に囲まれた形をしており、この山城は高麗時代と朝鮮時代初期までは軍倉として使われていました。
合米城 (文化財資料 71号)
百済時代に築城されたもので、朝鮮時代の文禄の役の時に城を補修し、兵糧米を備蓄していたと言われますが、南側の城壁は昔の姿のまま保存されています。
楽徳亭 (文化財資料 72号)
朝鮮時代、乙巳士禍の後、官職を辞任した金麟厚が隠居しながら、後学を教えて修養した場所であり、初代大法院長の街人 金炳魯氏が子ども時代に勉強していた東屋でもあります。
亀岩亭 (文化財資料 131号)
朝鮮時代の学者 亀岩楊培の学問と功徳を称えるために建てた東屋です。
漁隱亭 (文化財資料 132号)
1567年漁隱楊士衡がチョクソン江のほとりに建てた東屋。彼の雅号を取って漁隱亭と名付けられました。
迎狂亭 (文化財資料 134号)
1910年、韓日日韓併合条約が締結されると、錦翁金源中が8人の同士を糾合し、わざと狂人のように振る舞い、抗日闘争を展開していた場所です。
高麗直提学楊首生妻烈婦李氏閭(文化財資料 172号)
高麗時代、直提学を務めた楊首生の妻、李氏の志操を称えるために1467年に建てられた貞女閣です。
石山里磨崖如来坐像(文化財資料 184号)
岩壁に高さ2.7mの磨崖仏が浮き彫りされています。頭には大きな肉髻(にっけい)が彫られ、全体的にくっきりとした輪郭の坐像です。
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