- Home
-
-
歴史
淳昌の紹介
歴史
- 世界的に有名な長寿の町であり、コチュジャン(唐辛子味噌)をはじめとする伝統醤類の名産地、そして緑豊かで親しみやすい町である順昌(スンチャン)は、馬韓時代には「玉川(オクチョン)」や「五山(オサン)」と呼ばれていました。 統一新羅時代には「淳化(スンファ)」、高麗時代には「淳昌県(スンチャンヒョン)」と呼ばれました。1319年(忠粛王6年)、この地出身の僧侶である丁午(ジョンオ)が国師(王の師)としての名誉ある職務に就いたことにより、順昌は県から郡(郡)へと昇格しました。
1900年代以前
- 順昌は馬韓時代には南原府、五山、または玉川に、百済時代には道実(ドシル)に、統一新羅時代には淳化に、そして高麗時代には淳昌県に属していました。1175年(明宗5年)には監務(地方官)が派遣されました。 1314年(忠粛王元年)に順昌郡へ昇格しました。朝鮮時代初期、順昌郡は18の坊(坊)を管轄していました。1897年(高宗34年)には、坊から名称が変更された18の面(面)を管轄するようになりました。
1900年代 ~ 2000年代
- 1900年代
- 1914年时,辖有14个面
- 麟渓(インゲ)面 = 麟化面 + 虎渓面
- 豊山(プンサン)面 = 豊実面 + 鰲山面
- 八徳(パルドク)面 = 八等面 + 徳津面
- 双置(サンチ)面 = 上置面 + 下置面
- 東渓(トンゲ)面 = 南原郡の領渓面と阿東面(亀尾、於峙、東心)を編入
-
1917年
- 13面を管轄 - 順昌(スンチャン)面 = 左部面 + 右部面
-
1919年
- 12面 126里を管轄 - 金果(クムグァ)面 = 金洞面 + 木果面
-
1935年
- 11面 131里を管轄 - 亀林(クリム)面 = 亀岩面 + 茂林面
-
1979年5月
- 1邑 10面 131里 273行政里を管轄
- 順昌面が順昌邑(邑)に昇格
- 2000年代
- 2007年10月5日
-
2009年1月1日
-
2016年6月15日